ロック史を創ってきた者たち 世界が愛したギターヒーロー名鑑 vol.5 ジョン・フルシアンテ【Go!Go! GUITAR プレイバック】

 

影響力バツグン! ミクスチャーロック界のカリスマギタリスト

ギターの可能性を広げてくれたギターヒーローにスポットを当てて紹介するコーナーの第5回。今回取り上げるのは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストであり、「現代の三大ギタリスト」にも選出されているジョン・フルシアンテだ。


文/平川理雄 マンガ/dobby

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(1)

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(2)

 

 本名ジョン・アンソニー・フルシアンテ。1970年3月5日、ニューヨークのクイーンズに生まれる。音楽好きの両親と共にアメリカ国内を転々と引越しをくり返す後、両親は離婚。
 母に連れられてカリフォルニア州サンタ・モニカからマー・ヴィスタ(共にロサンゼルス郊外)に移り住んだ9歳の頃、ジョンはLAのパンクバンド“ジャームズ(Germs)”を知る。翌年には独学で彼らの楽曲を全部ギターで弾けるようになっていた。
 その後ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ジミ・ヘンドリクスなどのロックギタリストに憧れて11歳から本格的にギターの勉強を開始。そしてʼ85年(15歳)、初めてレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(RHCP)のライブを体験。その衝撃で彼はRHCPへの加入を夢見ることとなった。
 彼は高校を中退し音楽学校のGI(現MI)に入学すると、セッションなどを通じて人脈を広げていった。その中の1人、元デッド・ケネディーズのドラマー、D. H. ペリグロがセッションに連れてきたのが、なんとフリー(RHCPのベーシスト)だった。88年にRHCPは結成メンバーであったヒレル・スロヴァクの死去によりギタリストを募集することとなり、紆余曲折を経て最終的にその座をつかんだのがジョンだった。数奇の運命とはまさにこのこと。しかしアルバム2枚に参加した後、92年の来日公演中に突如脱退。
 その後のジョンは薬物中毒に苦しみながらもソロ作『Niandra Lades and Usually Just a T-Shirt』のリリースなど、活動を再開。そして薬物中毒を克服し99年にRHCPに復帰するとギタリストとしての評価は一気に高まる。ファンク的リズムやテクニカルな速弾き、はたまたブルースマンのような枯れた演奏など、その演奏の幅は拡大を続けた。
 04〜05年にかけてはソロアルバム6作を連続リリースをするなど精力的に活動し、07年にはローリング・ストーン誌の選出する「現代の三大ギタリスト」にジョン・メイヤー、デレク・トラックスと共に選出された。
 09年にRHCPを円満脱退。以降、エレクトロニックミュージックも採り入れてその活動はさらなる高みへと登り続けている。RHCPは12年にロックの殿堂入りを果たし、ジョンももちろんそこに名を連ねることとなった。そして19年12月、公式インスタグラムでRHCPへの2度目となる復帰が発表。23年には16年ぶり待望の単独来日公演を開催し、衰えるばかりか進化し続けるプレイを披露した。

 

■ジョン・フルシアンテ 年表

 

1970 ニューヨーク州クイーンズで誕生。

1979 カリフォルニア州に移り、ギターにのめり込む。

1985 レッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブを初体験。

1988 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ加入。

1989 『母乳』リリース。ヒットチャートに名を連ねるようになる。

1991 大ブレイク作品となる『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』リリース。

1992 世界ツアーでの来日公演中に脱退。

1999 レッド・ホット・チリ・ペッパーズに復帰。『カリフォルニケイション』リリース。

2002 『バイ・ザ・ウェイ』リリース。イギリスにおいて、アルバムチャート1位獲得。

2006 『ステイディアム・アーケイディアム』リリース。アメリカにおいて、アルバムチャート1位獲得。

2009 レッド・ホット・チリ・ペッパーズを再脱退。以降ソロアーティストとして、才能を開花させていく。

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(3)


 現在はラフなプレイが印象的だが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに加入した当時は、正確なピッキングに裏づけされた演奏が持ち味だった。音使いはシンプルでありながらも、音の長短や強弱の微妙な変化と、多彩なチョーキングテクニックを駆使することによって、ファンキーで色気のあるサウンドを生み出している。ここで紹介する譜例は、単に譜面通りに音を追えばジョンみたいな演奏になるというわけではない。譜面には表せない長短や強弱のニュアンスや、レイドバックしたグルーヴを完璧にコピーして初めてジョン奏法の真髄に迫ることができるというわけだ。ピッキングやフィンガリングの基本を確認しながら、CD等で実際のプレイを何度も聴いてニュアンスまで表現できるよう練習しよう。

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(4)

 

「Stone Cold Bush」のリフを参考にした。ワウペダルを使用したリフでは5弦と2〜3弦を正確に弾き分け、余弦のノイズを鳴らさないように指の腹でミュート。2小節目は左手で余弦をミュートする単音カッティングの弾き方だ。

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(5)

 

「Sexy Mexican Maid」のチョーキング+カッティングのイメージ。人差指で1〜3弦をセーハして中指で2弦を押さえる。和音のハーフチョーキングは指先に力を込めて持ち上げる。カッティングは手首から鋭く振り抜いてブラッシングも心地よく響かせよう。

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(6)

 

「Give It Away」を参考にした単音カッティング。右手は鋭く振り抜いて左手で余弦をミュートしながら押弦する。リズムはビートに対してややレイドバックしたノリで! 原曲を聴いてニュアンスを確認しよう。

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(7)

 

「Funky Monks」を模倣したフィンガーピッキングによるリフ。右手のピッキングは、4〜6弦を親指、2〜3弦を人差指、中指ではじく。アクセント部分を強めにピッキングしよう。スタッカートの部分で音をしっかり止めることが歯切れのよいノリを出すコツだ。

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(8)

 

 RHCP再加入以降、バンド内でもっとも多く使用しているギターは62年製フェンダー・ストラトキャスター。55年製ストラトキャスターも所有しており、これは所有するストラトキャスターの中で唯一のメイプル指板だ。他にも赤い62年製ストラトキャスター、同じく赤の62年製フェンダー・ジャガー、65年製フェンダー・テレキャスター、55年製グレッチ・ホワイトファルコンも使用。アコースティックギターは50年代に製造されたマーティン社製00-15。RHCP脱退以降はヤマハSG2000をメインとして使っている。
 実はこれらのギターは最初にRHCPを脱退した後に購入したもので、それ以前まで使っていたギターは、96年に自宅が火事になった際にすべて焼失してしまったそうだ。
 アンプはマーシャル。ヘッドはヘヴィなサウンドにはシルバー・ジュビリー22/55、クリーンではメジャーとサウンドによって使い分け、グレッチ用にはフェンダー・デュアルショーマンをマーシャルのキャビネットで使用する。
 エフェクターはBOSS DS-1、DS-2、エレクトロ・ハーモニクス社製ビッグマフなどの歪み系、Ibanez WH-10やLine 6 FM4、Moog MFシリーズなどのワウ・フィルター系、BOSS CE-1のコーラス、Line 6 DL4やDigiTech PDS 1002などのディレイ/リヴァーブ系などを多く所有。初期のシンプルなセッティングでは歪み系とワウが中心だったが、近年の演奏では上記エフェクター群をフル活用した派手な足元が特徴だ。また、エレクトロニックミュージックを演奏する場合には、ヴィンテージのローランド社製MC-202シンセサイザー/シーケンサーを愛用している。

 

初期のジョン・フルシアンテ風サウンドの作り方

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(9)

ジャガーやテレキャスターも使用しているが、やはり何と言ってもʼ62年製のストラトキャスターだろう。アームを常時つけた状態で弾くのが当時のジョン流だ。

 

世界が愛したギターヒーロー名鑑  vol.5(10)

初期のセッティングはいたってシンプル。ストラトにワウペダルとディストーションをつなぎ、アンプはクリーンからクランチまでをコントロールできるように歪みは控えめにしておこう。ドライブサウンドが欲しい時にディストーションを踏めばOK!

 


(Go!Go! GUITAR 2017年4月号に掲載した内容を再編集したものです)

 


 

Edit:溝口元海