第二十七回 ベルリオーズの《幻想交響曲》とアブサン【名曲と美味しいお酒のマリアージュ】

エクトル・ベルリオーズは1803年、フランス南東部イゼール県のラ・コート・サン=タンドレに生まれました。リヨンとグルノーブルの中間に位置するこの小さな町は、彼自身の記述によると

「丘の斜面に築かれ、山々に囲まれ、その背後にはアルプスの峰々が見える」

まるで風景画のような美しい町だったようです。僕はラ・コート・サン=タンドレには訪れたことがありませんが、リヨンからジュネーヴそしてラ・コート・サン=タンドレのさらに奥に位置する湖のほとりのアヌシーを旅したことがあります。たしかに彼の書いた通りの美しい景色が広がり、のどかな麓の牧草地帯から遥かに望むアルプスの威容に深い感銘を受けました。

 

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(1)

 

父のルイ=ジョゼフは医師、母は熱心なカトリック信者で、エクトルの他に妹ナンシーとアデールが、そして後に弟のプロスペルが生まれました。父の手ほどきで教育を受けた子どもたちですが、エクトルはとりわけ音楽に惹かれたようです。フルートやギターを習い、また和声理論にも手を出したようですが、ラモーの『和声論』は難解であったため、カテルの『和声概論』で勉強をし初めての作曲をします。フルート、二つのヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための五重奏曲でした。

同じ頃、彼は初恋を経験します。12歳だった彼は6歳年上のエステルへの恋です。その時に生み出された歌詞付きのメロディーが《幻想交響曲》の前奏に用いられています。

さて、音楽家になる夢を捨てがたかった彼ですが、19歳になると父の後を継ぐべく、パリへ医学の勉強のために向かいます。しかし、そこでオペラに出会い、医学の道を放棄して音楽の道へと進むことになるのでした。

 

 

~今月の一曲~


ベルリオーズ:《幻想交響曲》作品15

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(2)

 

《ある芸術家の生涯におけるエピソード -5楽章からなる幻想交響曲-》
ロマン派の交響曲の嚆矢となったこの作品は、1830年12月5日にパリ音楽院で初演されました。この時ベルリオーズは標題(プログラム)を会場で配布しています。彼は本作品が演奏される演奏会ではこのプログラムを配布することが筋書きを理解する上で不可欠であるとしていましたが、改訂を行なった1855年版では各楽章の標題のみを記載すればよいとなっています。

さて、その中身ですが、次のようなものです。

前書き
作曲家の目的は、芸術家の人生の様々な状況を音楽的な要素で詳らかに述べることである。言葉の助けを受けられない器楽によるドラマの筋書きは、事前にその説明をする必要がある。したがって次のプログラムは、オペラのセリフのように考慮され、その性格と表現が、音楽の各部分に動機づけられるものである。

第一部「夢、情熱」
若い音楽家が、理想の女性に狂ったような恋に落ちる。彼の心には愛する人のイメージが楽想を伴って現れる。彼女の姿を反映した旋律は絶えることなく、イデー・フィクス(固定楽想)として彼を追いかける……。

第二部「舞踏会」
(1845年版では舞踏会とは関係のない内容が記されており、以下は1855年版。)

彼は舞踏会で愛する人の姿を見出す。

第三部「野の風景」
ある夕べ、彼は二人の羊飼いが吹き交わすラン・デ・ヴァッシュ(伝統的な牛追い歌)を耳にする。牧歌的な二重奏、あたりの風景、木々のざわめき。最後に、羊飼いの一人がラン・デ・ヴァッシュを吹くが、もう一人は答えない…遠雷の轟、孤独、静寂。

第四部「断頭台への行進」
愛は報いられないと確信し、彼はアヘンで服毒自殺を図る。しかし、量が少なかったため死にきれず、奇妙な夢を見る。愛する人を殺し、有罪となり、断頭台へと連行され、処刑される。

第五部「サバトの夜の夢」
彼はサバト(魔女たちの夜宴)の中に自分自身を見出す。呻き声や高笑い、叫び声の中、愛する人の旋律が再び現れるが、下品でグロテスクな形に変わっている。彼女は悪魔の集会に参加し……弔いの鐘「怒りの日」のパロディ、サバトのロンド。これらが渾然一体となる。

一読するに、なかなかドラマチックな内容で後半はショッキングですらあります。これまでの交響曲にはなかった「私」を語る内容はまさしくロマン派と言えるでしょう。

この愛する人のモデルとなったのは、イギリス人の女優ハリエット・スミッソンです。シェイクスピア劇団の公演で『ハムレット』のオフィーリア役を演じた彼女にベルリオーズは一目惚れしてしまい『ロメオとジュリエット』、『オテロ』と次々に彼女の舞台を観に行きました。一方的に恋をしたベルリオーズでしたが、彼女はそんな彼を適当にあしらいます。この失恋の経験が音楽的に昇華したのが本作です。

 

 

~今月の一本~

 

ベルト・ド・ジュー

名曲と美味しいお酒のマリアージュ(3)

アブサン

 

薬草系リキュールの一種であるアブサンは、ニガヨモギ、アニス、ウイキョウなどのハーブやスパイスを主成分に作られます。

このお酒はニガヨモギの成分の一つに幻覚作用があるとされ、20世紀初頭には発祥の地であるスイスを含めた各国で、製造・販売が禁止されたという歴史があります。1981年にWHOによって残存許容量が定められ、解禁されました。19世紀のパリで大流行をしていたこともあり、ベルリオーズも飲んだかもしれません。画家のゴッホも愛飲したとされ、彼が耳を切り落とした原因は、アブサン中毒にあるのではないかとされています。

​​​​​​​もちろん現在のアブサンは安全基準を満たしているので大丈夫ですが、アルコール度数が大変高いため、飲み過ぎにはくれぐれもご注意ください。程よい酔心地で聴く《幻想交響曲》、ぜひベルリオーズになった気分で作品世界に没入したいものです。

 

 

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Text&Photo(アブサン):野津如弘

 

参考文献 

・『ベルリオーズ』(不滅の大作曲家) 

シュザンヌ・ドゥマルケ 著/清水正和・中堀浩和 共訳 
音楽之友社(1972) 

 

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