【日本温泉うた紀行】~指揮者・野津如弘と巡る名湯 民謡や温泉小唄の世界~ 第三回「アイヌの温泉うたを訪ねて」


人はお湯に浸かるとつい歌いたくなるもの。
本連載では、日本各地の温泉地で生まれた「うた」の世界をご紹介する。
第三回目はアイヌの温泉うたについてお送りします。

登別温泉に泊まった翌日はカルルス温泉に向かった。カルルスというちょっと聞き慣れない名は、チェコの温泉地「カールスバート(カルロヴィ・ヴァリ)」に由来する。カールスバートの温泉は、古くはベートーヴェンやショパンも滞在したというヨーロッパの名湯で、泉質が似ていることから明治の頃に名付けられた。登別温泉からバスでさらに山を登っておよそ20分、来馬岳、オロフレ山、加車山に三方を囲まれており、バスを降りた瞬間に感じたのは澄んだ空気のおいしさだ。鄙びた高原リゾートといった趣きで、数軒の旅館が静かに客を迎え入れている。泉質は含有量から単純温泉に分類されるが、成分的にはナトリウム―硫酸塩泉(芒硝泉)。飲泉も可能で、身体の内側から癒される。

前回触れたように、アイヌの人々は昔から「ペンケユ(上の湯)」と呼んでカルルス温泉に浸かっていたようで、この地はまた「ペンケネセ(小川の床)」とも呼ばれており、これはシカ狩りに出掛けたアイヌの若者が傷を負い、それを癒したという伝説に基づいているそうだ。

そんなエピソードに触れて、アイヌにも温泉うたが残されていないのだろうかという疑問がふと湧いてきた。そこで札幌へ向かう途上、登別にある『知里幸恵 銀のしずく記念館』と白老にある『ウポポイ』を訪れてみることにした。

 

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『知里幸恵 銀のしずく記念館』

 

知里幸恵氏のことは、2011年にフィンランドで舘野泉氏と東日本大震災チャリティーコンサートで共演した際に指揮した末吉保雄作曲《アイヌ断章》を通じて知った。ピアノ、フルート、コントラバス、打楽器の四重奏曲だが、アンサンブルが難しいため指揮をすることになったのだった。第1楽章は「銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに」と題されており、このタイトルは知里幸恵著書の『アイヌ神謡集』のシマフクロウ神が自らを歌った謡「銀の滴降る降るまわりに」によるものである。アイヌのカムイユカラ(神謡)を美しく著した本作に触発された《アイヌ断章》は、素朴でありながら厳かな雰囲気、ユーモラスな表現もあって忘れ難い作品のひとつとなっており、いつか『知里幸恵 銀のしずく記念館』を訪れてみたいと願っていた。

展示品をじっくりと見学して、記念館の松本理事長にアイヌの温泉うたの話を伺うと「前も聞かれたことがあり調べたりしたが、アイヌの温泉うたというのは見つからなかった」との返答。その代わり、登別のアイヌ語の地名についていろいろと教えていただいた。

登別から白老まではJRで5駅。途中、登別の影に隠れてあまり知られていない虎杖浜温泉のある虎杖浜駅にも停まる。虎杖浜温泉は海辺の湯ということもあり、泉質はナトリウム―塩化物泉。今回は時間の都合で入湯は断念せざるを得なかった。列車は20分ほどで白老へ。2020年にオープンした『ウポポイ』は国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園などが集まった民族共生象徴空間で、アイヌ文化を体験することができる。

 

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『ウポポイ』

 

僕も「ウエカリ チセ(体験交流ホール)」で伝統芸能の上演と「ポロ チセ(大きい家)」で「ネウサㇻアン ロ(口承文芸実演)」を鑑賞した。アイヌの伝統家屋「チセ」の囲炉裏で「レプニ(拍子木)」で拍子を取りながら語り、歌われた謡や「ムックリ(口琴)」の調べが、しみじみと心に響いた。その後、博物館の展示も見学したのだが温泉うたに関する情報は得られず、帰りの時間も迫っていたので、この件は宿題として持ち越し、施設をあとにした。

翌週、仕事で釧路に行った際、阿寒湖温泉にある『阿寒湖アイヌコタン』を訪れた。

 

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『阿寒湖アイヌコタン』

 

アートギャラリー「オンネ チセ」やシアター「イコㇿ」を中心に民芸品店や伝統料理店を擁する集落で、温泉のあるここなら、きっと温泉うたのこともわかるのではという希望を抱いての訪問だった。民芸品店を営む古老でアイヌの踊りや民謡に一番詳しいと紹介された方に話を伺ったのだが、温泉にまつわるうたは知らないとのこと。阿寒湖には「ボッケ」と呼ばれる泥沼からまさに「ボコボコ」と温泉が湧いている場所があり、語源はアイヌ語の「ポフケ(煮え立つ)」に由来する。

 

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「ボッケ」

 

その方が昔、おばあさんと一緒に湖の温泉に入った話を聞かせてくれた。曰く、温泉の神様に失礼にならないように「モウㇽ」という肌着をつけたままに静かに入浴したと。阿寒湖温泉の泉質は単純泉・硫黄化水素泉。見た目は無色透明であたりも柔らか。しかし、思いのほか力強く、浴後なかなか汗が引かなかった。

自然に存在するものに神性を見出し、数多くの神謡を残したアイヌ民族に、温泉の「神謡」があってもよいのにと思うのだが、なかなか手掛かりが見つからない。

翌月、再び釧路を訪れた僕は、今度は屈斜路コタンへと足を延ばした。屈斜路湖畔には「コタンの湯」や「池の湯」という露天風呂や、砂浜を掘るとお湯が沸いている「砂湯」があり、泉質は単純泉やナトリウム―炭酸水素塩泉。近くの川湯温泉が酸性・含硫黄・鉄(Ⅱ)―ナトリウム―硫酸塩・塩化物泉、pH1.6と強烈な個性を放っているのとは対照的だ。

 

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「コタンの湯」

 

「コタンの湯」の近くには『屈斜路コタンアイヌ民族資料館』が建っている。釧路出身の建築家・毛綱毅曠(もづなきこう)氏による設計で、7本の柱とドームが特徴的な建物だ。展示品を見学したあと、資料館のスタッフに話を伺うことができたが、やはり温泉にまつわるうたは知らないとの回答。わざわざ知り合いのアイヌの古老にも電話をかけて、質問をしてくれたのだが、同じく聞いたことがないと。

ここに、阿寒湖で聞いた「モウㇽ」が展示してあった。その話をすると、アイヌの衣服について解説をしてくれた。「アットゥㇱ」と呼ばれる上着はオヒョウという木の繊維で作られており、繊維を取り出すために樹皮を温泉に浸けていたという。

アイヌの生活に欠かせない温泉。きっと、昔はうたがあったのではないだろうか。現在、アイヌの文化が失われないように保存・伝承が行われているとはいえ、今までに失われたものも多いだろう。それが口承なら尚更のことだ。形のないものを次の世代に伝えていくことの難しさを感じる。

 

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「池の湯」

 

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屈斜路湖「砂湯」

 

 

 

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Text&Photo:野津如弘

 

参考文献

・『アイヌ神謡集』補訂新版
知里幸恵 著/中川裕 補訂
岩波文庫(2023年8月10日刊行) 

・『広報のぼりべつ』より11頁「郷土史点描〈62〉」
宮武紳一 著
登別市役所総務部総務課広聴広報係(1995年7月1日)
https://www.city.noboribetsu.lg.jp/pr/kouhou_old/1995/19950701.pdf

 

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