【日本温泉うた紀行】~指揮者・野津如弘と巡る名湯 民謡や温泉小唄の世界~ 第四回「〽︎一度来てよい 二度来て 三度来て 四万はよい 一度ならず、二度、三度……何度でも訪れたくなる上州・四万の湯へ」


人はお湯に浸かるとつい歌いたくなるもの。
本連載では、日本各地の温泉地で生まれた「うた」の世界をご紹介する。
第四回目は上州・四万温泉の名湯と小唄についてお送りします。

群馬の温泉では、草津、伊香保の影に隠れた感のある『四万温泉』だが、昭和29年に厚生省(現・環境省)から国民保養温泉地第一号に指定された由緒ある療養泉だ(ちなみに同時に第一号に指定されたのは、青森県の酸ヶ湯温泉、栃木県の日光湯元温泉)。

東京駅から直通バスで4時間ほど、JR吾妻線中之条駅からは路線バスで30分ほどの距離なので、伊香保よりはちょっと遠いが、草津へ行くのとほぼ変わらない。

温泉口にあたる山口地区、中心部と言える新湯地区、さらに山を登った日向見地区の3地区からなり、30数軒の旅館、そして旅館の数を上回る42本の源泉があって、そのほとんどが自然湧出というから驚きだ。胃腸に効くとされるそのお湯は飲泉もでき、温泉街には飲泉所も設けられている。口に含むとわずかに塩味を感じるお湯は、ナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩泉で、飲んでよし入浴してよしの素晴らしいお湯である。

一般に解放されている共同浴場もあって、いずれもこぢんまりとしているが、その分、浴槽はいつも新鮮なお湯で満たされている。とりわけ、日向見地区にある『御夢想の湯』は四万温泉発祥の地とされ『日向見薬師堂』のすぐ隣にある。

 

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『御夢想の湯』

 

「中之条かるた」に

瑠璃光るりこうの仏をまつる 薬師堂

と詠まれているように、ご本尊は薬師瑠璃光如来。永延3年(989年)、源頼光の家臣・碓氷貞光が越後から上野国への道中に、この地で夢枕に童子が立ち「四万よんまんの病悩を治する霊泉を授く」と神託が授けられ『四万温泉』の名の由来ともなったと言われている。

 

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『日向見薬師堂』 
 


写真にある現在の薬師堂は、慶長3年(1598年)に領主・真田信幸(信之とも)の武運長久を願って建立されたものである。茅葺のお堂で、朴訥とした雰囲気が好ましい。

四万の郷土歌の歌詞には、多くこの薬師堂が詠われている。

《チンチロリン》(作詩:関一路 作曲:植村亨 唄:津村みち)には

 

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お前見そめた去年の十月

四万の薬師の宵まつり
 

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とある。「四万の薬師の宵まつり」とは今も10月7、8日に行われている「湯前神社秋季大祭」のことで、若連の《八木節》も披露されるほか、山車が練り歩くそうだ。

ところで《八木節》は栃木、群馬両県でよく歌われているが、その起源は越後から群馬県の木崎宿や栃木県の八木宿に出稼ぎに来ていた女性たちが故郷を想って歌った唄といわれる。歌詞のバリエーションは幅広く「国定忠治」や「鈴木主水」から地方の名物を歌いこんだものまで様々だ。「国定忠治」の中で、

 

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四万で一夜よ草津で二夜

気にはしやんすな北山おろし

燃えて火となる浅間の山で

今朝も三すじの煙がなびく
 

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と四万温泉と草津温泉が並んで詠われている。

さて、ここで四万温泉を代表する民謡をご紹介しよう。

《四万の湯煙り》(作詩:松村義人 作曲:石田友太郎 唄:丸山和歌子)

 

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一、山奥のけむる湯煙り 谿間の流れ

  四万は湯どころ ほのぼのと

二、すんなりと四万の娘は 湯の香に育ち

  浮世知らずの 無垢の花

三、くれないに燃ゆる紅葉は 化粧をこらし

  四万の川瀬に 水鏡

四、シャンコシャンコと馬でゆられた 四万への旅は

  今や自動車くるまで 一走り

五、来てみれば四万はよいとこ 見知らぬ人も

  共になじんで 一世帯
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昭和8年7月4日発表、盆踊りで踊られるようになり、その伝統は今でも引き継がれている。ちなみに初代版を歌ったのは丸山和歌子(ゴールデンレコード)で、のちに二宮ゆき子(キングレコード版)、内山みゆき(テイチク・レコード版)の2バージョンが発売されている。

冒頭に一節を取り上げたのは《四万音頭》(作詩:鈴木比呂志 作曲:植村亨 唄:小松みどり)だ。

 

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一、ハアー

  四万は湯の町 浴衣が目立つ

  逢えばなじみの 湯治客

  旅の愁いも 湯もやにとけて

  渡る萩橋 なさけ橋

   一度来てよい 二度来て

   三度来て 四万はよい

二、ハアー

  女ごころは 小倉の滝か

  摩耶はりりしい 男滝

  風もないのに 散る山吹が

  ほろりあの娘の 髪に舞う

   一度来てよい 二度来て

   三度来て 四万はよい

三、ハアー

  宿のゆかたに 庭下駄はいて

  歩く四万川 啼く河鹿

  足を伸ばそか 日向見薬師

  早く二人が 添えるよに

   一度来てよい 二度来て

   三度来て 四万はよい

四、ハアー

  四万のもみじは さ霧にぬれて

  ぬれて色ます 恋のいろ

  浮世はなれた 谷間の宿に

  湧いてつきない 湯のなさけ

   一度来てよい 二度来て

   三度来て 四万はよい
 

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こちらは作曲年は不明だが、歌手の小松みどり(歌手・五月みどりの妹)が歌っているので、デビューの1967年以降ということになるだろう。リフレインがなんとも言えず心地よく、耳に残る唄である。

四万温泉を訪れた湯治客には音楽家の名もある。日本の歌謡曲をリードした服部良一がその人だ。彼が泊まった『積善館』には色紙が飾られているほか、若かりし頃の当主が、氏の前で代表作《蘇州夜曲》を披露し、免許皆伝の免状をもらったという微笑ましいエピソードが残されている。なお、服部良一は、四万温泉にあった中之条町立第三小学校(現在は廃校)の校歌《四万の若草》の曲も作っている(詩は鈴木比呂志)。

 

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『服部良一のサイン』

 

『積善館』の名物はなんといっても「元禄の湯」だ。元禄4年(1691年)に建てられた本館は群馬県の重要文化財に指定されている。昭和5年に建てられた湯屋は「元禄の湯」と名付けられ、大正モダンな空間とほんのりと香る温泉の匂いにうっとりさせられる。とりわけ晴れた日の午前中にはアーチ形の窓から燦々と太陽光が差し込み、湯気に霞んで幻想的な光景を生み出す。5つの石でできた浴槽が並び、底からお湯が湧いている。湯量の違いからか微妙に各湯船の温度は違うので、自分好みの温度を見つけることができるだろう。「蒸湯」なる一人用のサウナもあり、蒸気浴も楽しめる。

 

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『積善館』

 

 

 

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Text&Photo:野津如弘
協力:一般社団法人 四万温泉協会
​​​​​​​協力:群馬県桐生市 産業経済部 観光交流課

 

※記号について

〽︎ ⇒ 庵点(いおりてん)
歌のはじめなどに置かれる約物のひとつ。
 

参考文献

・「世のちり洗う四万温泉」図録:中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」企画展
中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」編(2017年6月30日発行)

・「吾妻の温泉文化〜温もりと憩いの名泉に集う人々〜」
中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」編(2022年10月5日発行)

・『おかげさまで300年』
18代 関 善兵衛 編
四万温泉積善館(1990年4月19日発行)

・一般社団法人 四万温泉協会HP
https://nakanojo-kanko.jp/shima/

・桐生市HPより八木節「国定忠治」
https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/1010571/yagibushi/1001884.html