【日本温泉うた紀行】~指揮者・野津如弘と巡る名湯 民謡や温泉小唄の世界~ 第一回「〽︎草津よいとこ一度はおいで ドッコイショ ~ 名メロディーに誘われて上州・草津の湯へ」


人はお湯に浸かるとつい歌いたくなるもの。 
今月から始まる本連載では、日本各地の温泉地で生まれた「うた」の世界をご紹介する。
第一回目は日本を代表する温泉地、群馬県は草津温泉。江戸時代に流行った温泉番付で東日本筆頭の大関の地位を占めるなど「西の有馬、東の草津」として古くから知られる名湯である。 

草津へのアクセスは、その昔は軽便鉄道があり軽井沢から電車で行けたのだが、現在は吾妻泉で長野原草津口駅からバスを利用することになる。草津バスターミナルまでは25分ほど。終点近くになると、メロディーラインという道路に溝を作って走行音が音楽に聴こえる仕掛けによって《正調草津節》が流れてくる、らしい。「らしい」と書いたのは、本コラムのためにも筆者は必死に耳を凝らしたものの、確認することができなかったからである。後で調べたところ、40キロという一定の速度で走ることが条件のようだ。この時はうっすら雪も積もっていたようだし、いろいろと条件が整わなかったのだろう。

《草津節》を聴きながら草津温泉へというもくろみは外れたものの、バスは無事ターミナル駅に到着し、目指すは湯畑。岡本太郎がデザインしたという湯畑エリアまでは坂を下ること徒歩数分だ。湯畑が目に入る前から、硫黄の匂いが漂ってきて、温泉気分を盛り上げてくれる(厳密には「硫黄」ではなく「硫化水素」の匂い、とすべきなのだろうが「硫黄の匂い」のほうが通りがよいと思うので、ここではこちらの表現を用いることにする)。

 

草津の中心に位置する「湯畑」

日本温泉うた紀行_01

昔の地図を見ると、この湯畑を取り囲むように7つの外湯があったのがわかる。手前の湯壺のあたりには「滝の湯」があった。それぞれの浴場から「時間湯」の合図の喇叭の音、湯長の掛け声、そして「湯もみ唄」が聴こえてきたのだろう。 


町の中心にドーンと位置する湯畑は草津のシンボル的存在といってよいだろう。周りを外湯や旅館、土産物屋に取り囲まれた広場をぐるりと一周すると、柵には草津を訪れた歴史的偉人たちの名が刻まれており、武満徹や服部良一といった音楽家の名前もある。柵の中は湯の花を採取するための木桶がずらりと並び、その先、一段低くなった辺りが湯壺になっており、滝のように流れ込む大量のお湯が圧巻だ。湯畑の湧出量だけで毎分4000ℓ、草津全体では32000ℓにも及び、自然湧出量では日本一を誇る。「湯畑」源泉のほか「白旗」「地蔵」「煮川」「西の河原」「万代鉱」の主要6源泉があり、pH値1.6〜2.1という強い酸性泉だ。 

宿によって使われている源泉はさまざま。万代鉱や湯畑源泉が多いようだが、自家源泉を持つ宿も数少ないながらある。また、地元住民が管理する18の外湯があり、その内「白旗の湯」「千代の湯」「地蔵の湯」には観光客も入ることができ、各種源泉に入り比べるのも楽しい。 

さて、冒頭に挙げた《草津節》は、高温で湧き出る温泉を、薄めることなく適温に下げるための「湯もみ」という作業を、調子を合わせて行うために唄われ始めたさまざまな唄にルーツを持つ。当初は、湯治客がそれぞれの郷里の歌などを唄っていたのを、大正初期に芸妓の竹寿(たけじ)さんによって、銚子や鹿島の漁師唄などを元に座敷唄として編まれたのが、現在まで唄われている《草津節》だ。湯もみ唄にはもう一つ俗に《ヨホホイ節》と呼ばれるものもある。こちらは館山の商船学校寮歌を同じく竹寿さんが編んだもので、歌詞は次のようなものが知られている。 

 

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〽︎草津恋しや ヨーホホーイ あの湯煙によ(ハァ ドッコイサ ヨィヨィ) 浮いた姿が ヨーホホーイ 目に残るとかよ(ハァ ヨィヨィ) 

《草津節》の歌詞は湯もみショーで唄われる 

 

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〽︎草津よいとこ一度はおいで(ハァ ドッコイショ) お湯のなかにも(コリャ) 花が咲くよ(チョイナチョイナ) 

〽︎春は嬉しや降る淡雪に(ハァ ドッコイショ) 浮いた姿が(コリャ) 目に残るよ(チョイナチョイナ) 

〽︎夏はまだまだ浅間の山と(ハァ ドッコイショ) 暑さ白根の(コリャ) 風が吹くよ(チョイナチョイナ) 

〽︎草津よいとこ紅葉の名所(ハァ ドッコイショ) 紅の流れる(コリャ) お湯の川よ(チョイナチョイナ) 

〽︎お医者様でも草津の湯でも(ハァ ドッコイショ) 惚れた病は(コリャ) 治りゃせぬよ(チョイナチョイナ) 

〽︎忘れしゃんすな草津の道を(ハァ ドッコイショ) 南浅間に(コリャ) 西白根よ(チョイナチョイナ) 

 

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この六句が有名だが、草津町教育委員会事務局の上坂尚己(うえさかなおき)さんによると、なんとその歌詞の総数は500句以上にもなるという。その中から300句を集めた『草津節歌詞選録集』(群馬縣艸津温泉刊)が平成25年に発行されている。編者の黒岩正雄さんは草津温泉湯もみ保存会会長を務める。 

上記六句以外にもよい句がたくさんある。 

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〽︎時雨はらはら草津の宿で(ハァ ドッコイショ) 一人寝て聞く(コリャ) 湯もみ唄よ(チョイナチョイナ) 

一人旅の多い筆者に染み入る一句。 

 

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〽︎主(ぬし)は白旗(しらはた)わしゃ熱の湯よ(ハァ ドッコイショ) 千代の契りを(コリャ) 松のお湯よ(チョイナチョイナ) 

〽︎きつい時間湯地蔵の慈悲が(ハァ ドッコイショ) そっと浸かれば(コリャ) 夢心地よ(チョイナチョイナ) 

外湯を詠み込んだ二句。どのお湯に入ろうか選ぶ楽しみがあるのも草津のよいところ。 

 

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〽︎チョイナチョイナはどこから流行る(ハァ ドッコイショ) 上州草津の(コリャ) 湯もみからよ(チョイナチョイナ) 

草津節が昭和3年にラジオ放送されて全国へ広まった様子が伺える。 

 

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〽︎箪笥開ければ湯の香が匂う(ハァ ドッコイショ) 草津恋しや(コリャ) 湯もみ唄よ(チョイナチョイナ) 

硫黄の匂いは洗濯してもなかなか落ちない。「忘れしゃんすな〜」もよいが、こちらもまた草津へ旅したくなる一句である。 

 

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記号について(※)

〽︎ ⇒ 庵点(いおりてん)
歌のはじめなどに置かれる約物のひとつ。
 

 

「草津節発祥の地」 

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あれほど有名な曲なのに歌碑などはなく「草津節発祥の地」と記された碑が、ひっそりと笹に囲まれるように佇んでいた。場所は湯畑から滝下通りに向かい、千代の湯を越して通りが二股に分岐したところ。


 



源頼朝の伝説にちなむ「白旗の湯」。

 

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左側が男性浴室で、湯気抜きと採光のための塔が特徴的。浴槽は二つあり、入って右奥の小さい浴槽は激熱。左の塔の下部にある浴槽はそこまでではないが、熱め。それもそのはず、平成25年温泉分析書によると50.8℃の白旗源泉がかけ流されている。


眼病に効くとされる目洗い地蔵をまつる地蔵堂に面した「地蔵の湯」。

 

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勢いよく注がれる湯口付近は熱いが、離れると適温。同分析書によると地蔵源泉は48.4℃だ。天井が高く開放的で、濁り具合やお湯の感触など個人的には一番のお気に入り。


湯畑を下がった、その名も滝下通りにある「千代の湯」。

 

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こじんまりとしており、51.3℃の湯畑源泉がかけ流される浴槽は2〜3人も入ればいっぱいだが、それほど熱くなかったのは前に入った人が水を加えたからだろう。草津節の碑のすぐそばにある。


左の木造の建物が、白旗源泉のすぐ後ろに近年再建された「御座乃湯」。

 

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「湯畑源泉」のほか「万代鉱源泉」の二種類のお湯が、それぞれ檜の浴槽と石造りの浴槽に張られている。「万代鉱源泉」は泉温96.5℃、pH値1.6と温度、酸性度ともにずば抜けて高い。また湯量も豊富で、草津のホテルや宿でもよく使われている。右の白壁の建物が草津館。草津には珍しい自家源泉(「若の湯」)があり、加えて「白旗源泉」も楽しめる。部屋数も多くないので、混み合うことなくじっくりと温泉に浸かることができる。


露天風呂なら「西の河原露天風呂」だ。

 

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草津には露天風呂の無い宿も多いし、あったとしても景色はあまり期待できない。その点、ここは自然に囲まれた圧倒的なスケールの露天風呂で、開放感がたまらない。温度も場所によって違うので自分好みのところを探して入れるのもよい。但し、源泉は「西ノ河原源泉」ではなく「万代鉱源泉」なのでまぎらわしい。

 

 

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Text&Photo:野津如弘

 

参考文献

・『草津節歌詞選録集』
黒岩正雄 編
群馬縣艸津温泉(2013)

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