【スージー鈴木の球岩石】Vol.9:2011年の神宮球場と玉置浩二「田園」

スージー鈴木が野球旅を綴る連載「球岩石」(たまがんせき)。第9回は、2011年、東日本大震災を受けて、スージー氏の中でむくむくと動き出した言葉と、玉置浩二のあの名曲が、神宮球場で交差するショートストーリーです。

2011年4月2日神宮球場で行われたチャリティーマッチのスコアボード

『がんばれ!!タブチくん!!』で読んだ傑作4コマ
東大阪に住んでいた小学生時代、「神宮球場」は遠い世界だった。初優勝(78年)する前のヤクルトスワローズの試合をテレビで見て、外野席が芝生でいいなぁと思ったくらいの記憶しかない。
ヤクルトという球団を身近に感じたのは、野球ではなく漫画を通して。当時、一大ブームを巻き起こし映画にもなった、いしいひさいちの漫画『がんばれ!!タブチくん!!』。阪神から西武に移籍した田淵幸一を主人公にした漫画なのだが、ヤスダ投手(安田猛)、ヒロオカ監督(広岡達朗)など、なぜかヤクルトのキャラクターがよく出てくる。
しかし、作品の中で、もっとも印象的なヤクルトの選手は投手・鈴木康二朗だ。そう、王貞治に世界新記録の756号を打たれた鈴木。と、彼を紹介するときの常套句をなぞってみたが、その常套句を活かした傑作4コマが忘れられない。
● 1コマ目:マウンドに立つ鈴木康二朗の横に文字で「王に756号を打たれた鈴木」
● 2コマ目:実況と解説も彼を「王に756号を打たれた鈴木」と呼んでいる
● 3コマ目:何とスコアボードにも「王に756号を打たれた鈴木」と書かれている
● 4コマ目:しかし鈴木家の表札には「王に756号を打たせてやった鈴木」
今見ても「よく出来ているなぁ」と思う漫画なのだが、今年に入って、サンスポの記事(2023年2月13日)を読んで驚いた。何とこのオチは実話だったらしい。
――当時、勝負を避ける投手が多かった中、鈴木さんは真っ向勝負を挑んだ。試合後には「756号を打たせてやった鈴木、と書いて」と話し、不名誉な投手に米コンチネンタル航空から贈呈される予定だったサイパン旅行を断った逸話もある。
とのこと。また記事の続きによれば、鈴木康二朗の娘さんがお父さんについて「とにかく記憶に残っているのは『おれは逃げなかった』『今後は、王さんに恥ずかしくないように生きていく』という言葉です」と語っている。鈴木は2019年、肺炎でこの世を去っている。
初・神宮球場、初・早慶戦の後は歌舞伎町のディスコ
神宮球場に実際に足を運んだのは、1986年に早稲田大学に入学してから。当時入っていたサークルの面々で、いわゆる「早慶戦」を観に行くことになったのだ。
とても驚いたのは、大学の中で野球の「早慶戦」は一大イベントになっていて、「早慶戦」の観戦のためなら、授業をサボっていいとなっていたことである。
そんなルールを知らずに私は、土曜一限の英語の授業に向かった。教室にいるのは、私含めて数名。アメリカ人の教師が、冒頭にこう言う。
「Are you here?」
「あなたたちはここにいますか?」。機転を利かせたクラスメイトが「No(いません)」と言う。すると教師が日本語で「しょうがないですね。誰もいないのなら授業は中止です」と言って、教室を去っていった。この茶番、いしいひさいちの漫画ほどによく出来ている。まぁ、毎年繰り返されたネタで、年季も入っていたのだろうが。
神宮球場で驚いたのは、「花は桜木 男は早稲田」という、やたらと時代がかった垂れ幕が掲げられていたことだ。それでいて試合前には、女性アイドル歌手が来て、おぼろげな記憶だが、確か1曲歌ったのではないか。何だろう、この硬軟入り混じったチグハグさは。
試合の結果は、まったく憶えていない。ちなみに私はこの時点で、野球などまったく興味がない。前回も書いた通り、79年、中1でイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に触れた私は、「YMOの3人が観ていないだろう」という理由で、野球やプロレスから足を洗ったのだから。
記憶にしているのは、その後の宴会のことだ。サークルの面々で連れ立って新宿歌舞伎町に繰り出した。何でも、早慶戦観戦後に繰り出す場所は「慶応大生は渋谷、早大生は新宿」と決まっているらしい。
なぜこの夜のことを憶えているかと言えば、生まれて初めてディスコというものに行ったからだ。「XENON」(ゼノン)という名のディスコ。私のような冴えない早大生が大挙して押しかけているのだから、正直、場は荒れていたはずだ。ヴァン・ヘイレン『ジャンプ』(84年)がかかって、みんなでジャンプした凄まじい記憶が……。
以上が、私にとっての「神宮球場前史」である。野球的に深いあれこれが、まだ何も起こっていなくて、申し訳ない。

2011年4月2日チャリティーマッチでの青木宣親・石井琢朗

真冬の神宮球場で、ピーター・ゲイブリエルが残したあの言葉
ヴァン・ヘイレン『ジャンプ』でジャンプした86年、神宮球場では野球的、ではなく音楽的に深いあれこれが行われていた。
86年8月20日には、神宮球場での初の音楽イベントとして、井上陽水と安全地帯のジョイントコンサート『STARDUST RENDEZ-VOUS』が開催された。ここで初披露されたのが、井上陽水・安全地帯「夏の終りのハーモニー」。そう、「夏の終り」とは「1986年の夏の終り」なのである。このイベント、私は行っていないけれど。
もうひとつ、86年12月20~21日に、真冬の神宮球場で2日間に渡って開催されたチャリティ・ライブ『ジャパン・エイド』が開催されたという。こちらも私は行っていないのだが、それでもこのイベントを深く記憶するのは、きたやまおさむ『ビートルズ』(講談社現代新書)のエンディングで、このように記されていたからだ。
――一九八六年十二月二十一日の神宮球場。なんとか晴れたものの、日本の寒い冬だけは変えようがなかった。この日、平和コンサートの流れの一つとして、盛り上がりに欠ける日本人のチャリティ意識を刺激すべく、〈第一回ジャパン・エイド〉の二日目が開かれた。いわゆるホカロン、ポケット・ウォーマーがばらまかれた会場は、約半分の入りだった。
――その一時間前、司会者がピーター・ゲイブリエルを呼び出すとき、「みなさん、歓声が少ないんじゃありませんか」と白い息を吐きながら、客をのせようとしたものだ。そして、そのピーターがステージの最後で言った――The rest is up to you.(あとは君次第だぜ)
このピーター・ゲイブリエル(当時「ガブリエル」と言っていたが)が真冬の神宮球場で放ったという「The rest is up to you」が、私の心にずっと残っていた。「何が自分次第なんだろう、でも何かが自分次第なんだろう」――。
2011年のマリンスタジアムと神宮球場での「底力」
何が自分次第なのか――それが少しずつ分かってきたのは、いっぱしの野球ファンになって久しい、2011年のことだった。
3月11日の東日本大震災。大地がぐらっと揺れて、福島第一原発が爆発して、電力供給がおぼつかなくなったことは、まだまだ記憶に新しい。そして、その影響でシーズン開幕が延期になったのだ。
そして、こちらは記憶している人は少ないだろう。プロ野球12球団による、復興支援の一助として、4月2~3日に日本野球機構が主催する「プロ野球12球団チャリティーマッチ-東日本大震災復興支援試合-」が開催されたことを。
趣旨に賛同した私は、神宮球場に駆けつけた。ヤクルト対広島戦。しかし話題をさらったのは、神宮球場ではなく、札幌ドームで行われた北海道日本ハム対東北楽天だった。東日本大震災の被害が甚大だった仙台を本拠とする、東北楽天の嶋基宏選手会長が語ったスピーチは、日本プロ野球史に残る。
――見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を。見せましょう、野球ファンの底力を。共にがんばろう東北! 支え合おうニッポン!
そして嶋基宏の高潔な言葉を聴きながら、私は思ったのだ。あの「The rest is up to you.」を翻訳すると「見せましょう、野球ファンの底力を」ということではないのかと。
何事にも腰の重い私だが、東日本大震災については、ずいぶんと気持ちを揺さぶられ、何かをやらなければと強く思い、千葉ロッテのいちファンとして、ちょっとしたボランティア企画を自ら動かした。
結局4月12日となった千葉ロッテの開幕戦は、マリンスタジアムでの東北楽天戦になった。そこで、東北楽天の選手とファンを迎え入れるポスター制作をプロデュースしたのである。千葉ロッテ球団とも連絡を取って、スタジアムなどで掲示した。これがそのポスター。今見ても悪くない。ちょっとだけ話題になったと記憶する。
「The rest is up to you」――みんなそう思っていたのだろう。この年の7月13日の神宮球場、東京ヤクルト対中日の試合で、個人的には忘れられないことが起きた。とっても些細なことなのだけれど、だからこそ忘れられないこと。
試合の中盤。福島からの修学旅行生が観戦していることを、場内アナウンスが伝えた。その後である。東京ヤクルトの応援団の一部、おそらく十数名くらいか。修学旅行生にエールを送ったのだ。
「がんばれ、がんばれ、福島!」
たった一瞬のことだった。たった数名の声だったので、ボリュームも小さく、白状すれば、本当にこの文字列だったのかも怪しい。それでも私は、福島からの修学旅行生へのエールを聴いたんだと記憶することにした。これからの人生のために。
2011年、東日本大震災を経て、「The rest is up to you」が、静かに、けれど、しっかりと積み重なっていく。

2011年4月2日チャリティーマッチでのヤクルトの寄せ書き

そして、2020年紅白歌合戦の玉置浩二「田園」
「あとは自分次第だぜ」は、行動にもつながるが、行動の抑制にもつながる。1986年の夏の終わりの神宮球場で、この上なく美しいハーモニーを聴かせた玉置浩二は、東日本大震災後、代表曲「田園」の一部の歌詞を封印していたという。
――♪波に巻き込まれ 風に飛ばされて それでも その目を つぶらないで
しかし震災から3年後に、宮城県石巻市でこのフレーズを歌ったことを機に封印を解いたことを伝える記事(2014年)を読んで、私は思った。封印されたこのフレーズの前に置かれている「生きていくんだ それでいいんだ」も翻訳すると「The rest is up to you」かもしれないと。
「The rest is up to you」は、私の心の中で、カレイドスコープのように意味を変化させていく。「見せましょう、野球ファンの底力を」へと。「生きていくんだ それでいいんだ」へと。
東日本大震災からもうすぐ10年というタイミングで放送された、2020年暮れのNHK紅白歌合戦は、コロナ禍ということもあり、無観客で開催された。観客のいない淋しさを埋め合わせするように、玉置浩二の出演が決まった。
東京フィルハーモニー交響楽団による、ベートーヴェン交響曲第6番『田園』のフレーズを盛り込んだ演奏をバックに、玉置浩二は朗々と歌う。
あのフレーズが来る。
直前の「♪明日も何かを頑張っていりゃ」のところで、オーケストラは小さなブレイクを挟む。あのフレーズへの号砲だ。
――♪生きていくんだ それでいいんだ
来る。
――♪波に巻き込まれ 風に飛ばされて それでも その目を つぶらないで
来た!
「2020年、コロナウイルス『第3波』の中、不安な面持ちで観た紅白を思い出すとき、まずは玉置浩二のシャウトが脳内に浮かぶことだろう」――翌日、私はこう記した。
東日本大震災から10年以上が経っても、コロナウイルスがこの国を覆い、福島第一原発事故の収束は一向に見えず、そして神宮球場の近くでは、反対の声が上がる中、外苑の再開発が始まり、当の神宮球場も移転、新球場に生まれ変わるという。
この先も、私たちは波と風に翻弄されながら生きていくのか。でも、ではなく、だからこそ、生きていくんだ。それでいいんだ。
「The rest is up to you――あとは君次第だ」。この言葉を、あのときの福島からの修学旅行生に、そっと渡したい。
玉置浩二「田園」
Text:スージー鈴木