【その歌の理由 by ふくおかとも彦】 第9回 Chuck Berry「Johnny B. Goode」①

ロックンロールの元祖は?

 

「ロック」という音楽領域は、今や向こう岸が見えないほどの大河となっていますが、その源流は「ロックンロール」です。ではそのロックンロールの誕生はいつかと言うと、これはどうやら明確ではありません。よく言われたのが、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ(Bill Haley & His Comets)の「Rock Around The Clock」(1954年5月20日発売)が「元祖ロックンロール」ということですが、この曲はロックンロール最初にして最大のヒット曲であるとはいえ、音楽スタイルとしてはこれ以前にも近いものはいくつもあります。たとえば1951年に発売された「Rocket 88」という曲。“Jackie Brenston and His Delta Cats”という名義ながら実はアイク・ターナー(Ike Turner and His Kings of Rhythm)だそうですが、これもよく「最初のロックンロール」とされます。

だけどそれを言うなら、1927年に発表されたミード・ルクス・ルイス(Meade Lux Lewis)の「Honky Tonk Train Blues」は、歌もないピアノの単独演奏で「ブギウギ(boogie-woogie)」と呼ばれますが、そのスタイルは「12小節のブルース・コード進行でアップテンポのダンスミュージック」という点では「Rock Around The Clock」や「Rocket 88」と同じです。YouTubeにありますからぜひ聴いてみてください。

 

シャッフルと8ビート

 

で、逆に言うと「Rock Around The Clock」もまだ、ロックンロールの完成形ではないんじゃないか、と私は思っています。根拠はリズムにあります。「Rock Around The Clock」は「シャッフル」です。私は、ロックンロールの最重要ポイントは「8ビート」であることだと思うんです。

実はそれまでのポップミュージックって、ほとんどみんなシャッフルなんです。シャッフルのリズムは3連符。“ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン”……童謡「あめふり」がそうですが、跳ねています。これは人の身体の動きととても相性がよくて、その証拠に、たとえば「行進曲=マーチ」というものもすべてシャッフル系です。歩く時は右左、交互に足を規則正しく運ぶのですから、ちょっと考えると跳ねているリズムとは合わなそうな気がしますが、実際は歩きやすい。たぶん身体の動きは筋肉の“緩急”の繰り返しで、その配分が2:1、つまり3連符なんだと思います。

対して8ビートは、たとえば“まいごのまいごの こねこちゃん”……「いぬのおまわりさん」ですが、これに合わせては歩きにくいでしょ? 不自然なんです。人にとって自然なのはシャッフル。だから人々は長い間、無意識にシャッフルのリズムを選んできたのです。
ところが50年代後半、音楽が進化し、新しいものを求める中で8ビートに挑戦するミュージシャンが登場し、若者たちがそれに飛びつきました。“不自然”だからこそ新鮮だったのでしょう。クルマや電化製品など、文明の利器に囲まれた暮らしを謳歌し、人間よりも機械のイメージに近い、跳ねないリズムへの親近感を高めたのかもしれません。ちょうど70年代の終わりに、無機質なコンピュータのビートがもてはやされたように。

その8ビートを音楽に初めて持ち込んだのがロックンロールであり、そこがロックンロールの最も画期的なところだったと思うわけです。

 

その歌の理由_01

 

元祖8ビート・ロックンロール

 

さて、では8ビートのロックンロールの元祖はどの曲なのか? 私はチャック・ベリー(Chuck Berry)の「Johnny B. Goode」だと考えています。1958年3月31日発売です。その2年前、56年5月に発売された「Roll Over Beethoven」も、ベリーは一応8ビートで演奏しているのですが、あの「2拍&4拍で、小指で5度の音を6度にする」ロックンロールの定番ギター・リフをまだやっていません。「Johnny B. Goode」ではそれをしっかり押さえつつ、インパクト抜群のイントロや、サビの歌に呼応するオブリガードなど、今、ロックンロールと言われて思い浮かべるギタースタイルをすべて確立しています。

ただ実は、ギターは完璧に8ビートなのですが、面白いことにバックがそうなっていません。まだ跳ねているんです。ベースはシカゴ・ブルースの作曲家として有名なウィリー・ディクソン(Willie Dixon)で、アップライト・ベースを弾いており、これはほぼ4分(音符)の頭で音を出しているだけなので、邪魔はしていませんが、ドラムのフレッド・ビロウ(Fred Below)のノリはシャッフルに近いです。彼はジャズ・ドラマーとしては一流だったそうですが、それだけにシャッフルから離れられなかったのでしょうか。2拍&4拍にしっかりスネアを打っている(バックビート)ので、それさえやればロックンロールだと思っていたのかもしれません。ピアノはラファイエット・リーク(Lafayette Leake)という人で、お構いなしに3連符を弾きまくっています。とにかく、明らかにギターとそれ以外の楽器のノリが違っているのに、強引に押し切っているのです。レコーディングをしていて、ベリーあるいはプロデューサーのレナード・チェス(Leonard Chess)は、気にならなかったんだろうかと不思議ですが、それほどまでにシャッフルのノリが当たり前で、そこに8ビート・ギターを乗せてみて「合わなくはないんじゃない?」ってな感覚だったのかもしれませんね。

その点、全体の8ビート感で言えば、1年早くリリースされたリトル・リチャード(Little Richard)の「Lucille」のほうがまとまっていて、あるいはこちらが“元祖8ビート・ロックンロール”と言えるのかもしれません。でもリチャードはピアノ弾きなんで、これはピアノロックなんですね。その後のロックがギターを中心とした8ビートであることを考えると「Johnny B. Goode」のベリーのギターが音楽史に与えたインパクトは巨大で、やはり「元祖」の称号にふさわしいのかな、と思います。

 

その歌の理由_02

 

8ビートが生まれた理由

 

とは言え、そのギター・フレーズ一つ一つはチャック・ベリー自身が発明したわけではありません。まずあの有名なイントロは、ルイ・ジョーダン&ティンパニー・ファイブ(Louis Jordan and His Tympany Five)の「Ain't That Just Like A Woman」(1946)でギタリストのカール・ホーガン(Carl Hogan)が弾いたものを発展させ、T・ボーン・ウォーカー(T-Bone Walker)の「Strollin' With Bones」(1950)でのギターソロのフレーズを足したものだし、5度を6度にする動きは、ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)の昔から(1930年代)もう使われている手法です。

じゃあ、彼はそういう先人たちのアイデアを拝借して並べただけなのか? いや、違います。それら先人のパフォーマンスも全て、リズムはシャッフルなのです。それを8ビートにアレンジした……彼の功績はそこにあるのです。

8ビートなんてごく普通、むしろそちらが基本、というのが今の感覚ですから、シャッフルを8ビートに置き換えるのがそんなに革新的なことだったとは、どうも実感できないでしょうが「無いものを有らしめる」のは大変なことなんです。

ではなぜ、ベリーにはそんな革命ができたのでしょう? 彼の自伝を読む限り、彼がそんなに音楽の追求に熱心だったとは思えません。15歳からギターを始めましたが、エレキギターを初めて手にしたのは24歳、1950年のことで、もう結婚していて長女が生まれた年でした。それまではずっと、高校の同級生が貸してくれた「テナーギター」という4弦の高音用ギターを使ってたんです。それから真剣にギターテクニックを磨き、音楽理論も勉強し始めるのですが、その目的の第一は金を稼いで家族を養うこと。初めてギャラを貰ってクラブに出演したのが1952年夏で、毎週土曜、1晩6ドル(今の価値で約70ドル、日本円で1万円弱)でしたが、彼の頭にあったのはいかにして客に受けるか、受けてギャラをアップできるかということだけ。おかげで、愛嬌たっぷりのステージ・パフォーマンスは磨かれましたが……。

「自伝」というと自分をよく見せるための脚色が入りがちですが、彼の自伝は、子どもの頃からの旺盛な性欲と女性遍歴、3度の逮捕歴など恥ずかしいことと失敗談が満載で、時系列がちょっとおかしかったりという箇所はありますが、とても正直な内容だと思います。

1955年5月に、シカゴの『チェス・レコード』のレナード・チェスにデモテープを聴かせたら、その月の内にレコーディングが行われて、7月にはシングル「Maybellene」が発売され、いきなりR&Bチャート1位、ポップチャートでも5位のヒットとなるという、28歳の遅咲きながらもシンデレラボーイ的デビューを果たしたベリーですが、その時点では音楽的な新規性があったわけじゃありません。ヒットのポイントは歌詞にあったと思います。クルマと男女の駆け引きの、たわいない話。それをリアルな言葉で調子よく表現したことが、当時はとても新鮮だったんだと考えます。

ミュージシャンである前に、健康で女好きな「クルマはキャデラック、なぜならシートが広くて女の子とやれるから」と嘯く青年で、もちろんその時代のアフリカ系アメリカ人に対する差別に満ちた環境の中で、半ばやむを得ず犯罪にも手を染め、17歳から3年間を刑務所で過ごすという波乱万丈な青春時代を送ったベリーは、そんな身の回りの出来事を、小気味よい歌詞にする能力に長けていたのでした。

そして、彼が成し遂げた「8ビート革命」も、実は歌詞にその理由があったのでは? と私は考えているのです。

…つづく

 

参考文献

・『チャック・ベリー(自伝)』

Chuck Berry 著/中江昌彦 訳 
株式会社 音楽之友社(1989年3月5日 第1刷発行)

 

 

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