第24回 音楽とテクノロジー②【音楽あれば苦なし♪~ふくおかとも彦のいい音研究レポート~】

魔法の機械、蓄音機

 

前回 “正しい”モノラル再生を体験して驚いた話をしましたが「蓄音機」を初めて聴かせてもらったときも驚きました。大きなラッパのついたゼンマイ駆動式のものです。高域と低域が少ない、いわゆる丸っこい音なのですが、ボーカルを中心に、とても艶めかしいと言うか、温かい感じの音質がとても心地よかった。
ただまぁ、これはある程度想像していて、でもそれを超えるものでしたが、意外…を通り越して不可思議だったのがその、普通の住環境で鳴らしたら確実に大き過ぎるほどの音量です。なぜ不可思議かというと、電気を一切使ってないから。高校生の頃「ゲルマニウム・ラジオ」というものをつくって、電気を使わずにラジオが聴けるのが不思議でしたが、あれはイヤフォンで、つまり非常に小さな音量なので、まだなんとなく「そんなものかな」と納得ができたんです。蓄音機の音量はもう魔法としか思えないくらい、でかい。

ほんとは電気でいろんなことができるほうが魔法なんですけどね。私たちはあまりにもそちらの魔法に慣れすぎています。

電気が使えなかったわけじゃないんです。エジソンが蓄音機を発明した1877年より以前、19世紀中頃にはもう「電信」が普及し始めていますから。そして1876年にはグラハム・ベルが「電話」を発明しました。蓄音機も実はエジソンが、電話の記録を残せる機械をつくればビジネスになると考えてつくってみた、その用途としては“できそこない”のシロモノだったのです。
さすがに各家庭に電気が供給されてはなかったのですが、電池はあったし、モーターもありました。ただし、当時の電池は「湿式」(「乾」電池の反対)で、硫酸などの危険な液体を使うので、一般家庭で手軽に扱えるようなものじゃなかったのです。電池&モーター式蓄音機もつくられたのですが、たちまちクレーム殺到でした。
で、試行錯誤の結果、レコード盤の回転にはゼンマイを使い、音の増幅には長くて大きなラッパを使って、見事、電気の力を借りずに、立派な音楽再生装置をつくりあげたというわけです。
モノラル再生や蓄音機は今の常識から言えば、前時代の遺物です。テクノロジーが未熟だった頃のプロダクツ。だけど、その枠の中で人々はいろいろ工夫して、今の感覚をもってしても素晴らしいと感じるほどのものをつくり上げていたのです。今のプロダクツでは出せないよさもその中にはあったのです。

 

音楽あれば苦なし♪(1)

 

テクノロジーと音楽のレベル

 

そして、この連載の「第18回 録音芸術」でも書きましたが、ビートルズの「A Day in the Life」や“10cc”の「I’m not in Love」のこと。「A Day in the Life」では、オーケストラの演奏を何度も重ねるために、4トラックしかなかったテープレコーダーを、2台連携させるという離れ業を実現させて対応し「I’m not in Love」では、たった3人の声で、緻密で煩雑な作業を厭わない労力と、特別な機材もなく不可能を可能にする発想力により、空前絶後の大コーラスワークを出現させました。
テープレコーダーの連結には、やがてそういう機械が登場するし、何よりレコーダーのトラック数が4から8、8から16、24、48とどんどん増えていき、ビートルズのレコーディングでの苦労は昔話になりましたし、どんな音でもデジタルデータ化できてしまう「サンプラー」があれば、10ccがやった果てしない作業も、はるかに簡単にできてしまいます。
ならば、彼らが注ぎ込んだ労力と時間はムダだったのでしょうか? もう少しテクノロジーの進化を待ってからやればよかったのでしょうか?
そんなことは決してないと思います。第一「A Day in the Life」にしても「I’m not in Love」にしても、音楽の輝きがまったく衰えていません。今聴いても、ため息が出るほど、心が動かされてしまいます。
逆に、テクノロジーが進化して、同じようなことがもっともっとたやすくできるようになったにも関わらず、これらを凌駕すると、はっきり言えるような作品はその後生まれていません。

 

録音テクノロジーの進化が音楽を変えた

 

前回お話ししたように、音楽はテクノロジーによって発展してきました。
「録音」というテーマにしぼってもそうです。最初期はアコースティック録音。蓄音機が針の微かな振動をラッパによって増幅して音を出す、その逆の作用で、大きなラッパ状のものに向かって演奏し、それをカッティング・ヘッドに伝えて、盤に溝を刻んでいました。ソロを聴かせる楽器は近寄るなど、音量のバランスはラッパからの距離で調節しました。オペラ歌手のように、大きな声で歌えないと歌手にはなれませんでした。
1924年頃、マイクロフォンを用い、つまり電気を使って録音する方式が開発されると、音量問題は解決。特に歌は、優しく語りかけるように歌う「クルーナー唱法」も可能になって、音楽表現の多様性が一気に広がりました。
でも、マルチトラック・テープレコーダーができるまでは、バックの演奏も歌もいっしょに録音する「一発録り」がマストでした。何テイクか録ることは可能だし、テープを使うようになると、違うテイクのよいところをつなぎ合わせる技も使えましたが、誰かひとりでも間違えたら全体がアウトというのはたいへんでした。その緊張感はある程度プラスでもあったとは思いますが。
ビートルズが「A Day in the Life」、つまり『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967)のレコーディングで使っていたのは、前述のように、4トラックのレコーダーでした。1960年頃には普及していたようです。4トラックあれば少なくとも4通りの演奏を同じ時系列で録音することができます。少なくともというのは、2〜3トラック分をまとめて別の1トラックに録音する(日本では「ピンポン」、米英では「bounce」と言う)こともできるからです。別々に録音できるということは、のちにそれぞれの音の加工とか、それらのバランスの調整などもできるわけで、音づくりの自由度がグッと広がりました。つまり、それまでは要するに「ライブを記録する」ことしかできなかったのですが、ここで初めて「録音ならではの音楽」が可能になったということで、これも大きなワンステップでした。
で、トラック数は大いに越したことはないので、60年代後半には8トラック(英国は米国に比べてやや遅かった)、70年代には16から24へと増えます。
そして、1980年代中頃になると、デジタル方式のテープレコーダーが登場します。アナログでは構造的に24トラックが限界だったのですが、デジタルになって32から48トラックまで増えます。デジタルのメリットはそれだけではなくて、たとえばアナログのテープ特有の「サー」という「ヒスノイズ」がありません。先ほどの「ピンポン」、1回するとヒスノイズが倍になるので、そんなに多用できなかったのですが、デジタルではその心配も無用です。その代わり、アナログの音には独特の深みがあって、それはデジタルにはどうしても出せないものでしたが、音のクリアさや、作業効率を重視するほうが勝って、ほぼデジタルに置き換わっていきます。
さらに21世紀になると、テープではなくハードディスクを使うようになります。そうなると、メモリー容量が許す限り、トラック数はいくらでも増やせるので、気にする必要がなくなりました。

 

“過剰な”進化はもはや音楽のためにならない?

 

「ちょっと待って」と。「そこまでトラック数を増やす必要があるの?」……そう思いますよね。
「より完璧を目指すために」という人はいるでしょう。たとえば、ドラムは完璧な演奏だったけど、他の楽器が少し物足らない。ドラムだけキープして、それに合わせて他の楽器をもう一度録音しよう。でも最初のテイクのいいところもあるから残しておいて、あとで決めよう……などとやっていると、トラック数はいくらでも欲しいということになっていきます。また、ボーカルを10テイクほども録っておいて、あとで部分ごとにいいテイクをつなげていくなんてことは、48トラック時代から普通にやっていることです。
ただ、それはもうちょっとやり過ぎなんじゃないでしょうか? ある時期までは、マルチトラックは「録音ならではの音楽」(あるいは「録音芸術」と言ってもいいと思いますが)にとって意義のある、不可欠なテクノロジーだったのですが、ちゃんと実力があるミュージシャンならば、24トラックもあれば十分なんじゃないかと思います。つまりそれ以上は、実力のなさをカバーする、悪い言葉で言えば誤魔化すための“過剰な”進化に思えてなりません。まあ、発想やセンスはよいんだけど演奏力がない、という人にもつくりやすくなって、音楽の可能性を広げるという面も、無きにしもあらずだとは思いますが。

「サンプラー」なども出てきた頃は、トレヴァー・ホーン(Trevor Horn)のような人がうまい使い方をして、ポップミュージックに新たな楽しさをもたらしたものですが、ハードディスク・レコーディング時代になると、レコーディングとサンプリングは同じことなので、レコーダー自体がサンプラーと言っていいわけです。そこではたとえば、ギターのリフを4小節くらい弾いたら、あとはそれをサンプリング・データのようにコピペをして、1曲分に引き伸ばすなんてことも簡単にできるし、実際やっているようです。演奏したタイミングがちょっとずれたのを、モニター上で波形を見ながらマウスでつかんで修正したりするのも半ば常識になっています。近頃のレコーディング・エンジニアの人たちは、そういう作業がめちゃくちゃ速い。
さらには「オートチューン(Auto-Tune)」という、ピッチを補正するエフェクターまで登場しました。1997年のことです。正しい音程からずれている音を強制的に正しく修正してくれる。これで音痴な人でも、まともな歌に聴こえさせることができるようになりました……って、音痴な人がレコード出したらアカンやろ。と言ってもずいぶん前から、“Perfume”や“きゃりーぱみゅぱみゅ”は完全「ロボ声」でヒットを連発しているんですけどね(彼女たちが音痴だと言っているわけではありません、というか知りません。ちなみに私は彼女たちの作品は好きです…)。

「AI」で作曲、なんてこともウワサとしてはよく聞くわけですが、それはどうなんでしょう。おそらく、曲にしても詞にしても、アレンジにしても、そのへんのヒット曲よりもずっとキャッチーな、したがって売れる作品をつくれると思いますよ。ただ、それがいいことなのかどうかってことです。「それをやっちゃあおしめーよ」と草葉の陰から寅さんが嘆くんじゃないだろうか。

 

音楽あれば苦なし♪(2)

 

音楽は常にテクノロジーを超えてほしい

 

音楽とテクノロジー。2人3脚、持ちつ持たれつと言うか、お互いを向上させるいい関係だったと思うのですが、ある時期以降は、どうも仕事を楽にすることや、下手なのをカバーしたり、ミスを隠したりすることに、便利になっているだけのような気もします。そして、便利なテクノロジーが加わるだけならいいのですが、その陰で、消えていったり忘れられたりする「昔のよさ」が、これ以上増えないことを祈ります。

肝要なのは音楽をつくる人たちの気構えですね。オートチューンにしたって、それが発明された翌1998年、早くもそれを使い倒して、画期的なボーカル処理を施した、シェール(Cher)の「Believe」は素晴らしかった。音程の悪いところをチマチマ直して「便利だー」と喜んでいるだけの人たちからは出てこない発想でしょう。

音楽は常にテクノロジーを超えなきゃつまらないと思います。

 

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